山口県の祭り
阿月神明祭・柳井市阿月 (2011.2.11)
祝島の神舞(2012.8.16~20 山口県上関町祝島)
祝島で4年に一度の神舞が、平成24年8月16日から20日まで開催された。期間中晴天に恵まれたことは、大変珍しいという。祝島は山口県上関町にある島で、面積7.67k㎡人口約450人が住む。特に、台風と冬の時季は強風が吹き荒れる。家屋は、石積みの屋根と練塀が特徴で、縦横に繋がる細い路地に寄り添う形で建っている。昭和26年のルース台風では、木造の小学校が倒壊したそうだ。
祝島の神舞は、航海中嵐に遭遇したことに起因するが、起源が仁和説(886年)と仁安説(1168年)の二つがあるようだ。大分県東国東郡伊美郷別宮八幡宮を京都岩清水八幡宮より勧請の帰途、船は嵐に遭遇して祝島の三浦港に避難停泊した。三浦に住む三戸の人々は、厳しい自然環境の中で苦しい生活をしていたが一行を心からもてなした。勧請使一行は、神霊を奉祀(大歳神社)して祈願するとともに、農耕の道を授けた。それを機に、祝島と伊美を結ぶ祭りが始まりこれまで千年以上続いてきた。祭り初日は、入船神事である。伊美を出港した神様(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)を乗せた3隻の御座船を、2隻の櫂伝馬船と祝旗で飾った約30隻の奉迎船が出迎えた。神様と宮司・神官・里楽師一行が島へ上陸すると、シャギリ隊と多くの人々が出迎え、その列は仮神殿まで賑やかに続く。仮神殿では、鎮座祭・御宿(着)式のあと神楽が奉納された。2日目は、岩戸神楽から始まる。神楽は全て伊美別宮社岩戸神楽で、国東半島に分布する国東系岩戸神楽といわれている。演目の合間に、祈願神楽(神主荒神)が入る。豊前神楽の特徴である「駈仙(みさき)舞」同様、神主姿の天の細女の命と鬼姿の猿田彦大神の出会いの場面を描いた神楽である。祈願神楽が始まると仮神殿の中は大いに盛り上がる。頭を差出し、御幣と鬼棒で叩いてもらう者。鬼に抱いてもらうため、子供を差出す者。そして泣きじゃくる子供。笑い声と悲鳴や泣き声で会場は騒然となり拍手が湧き上がる。神棚にお供えしていた御幣と鬼棒に扇子を加え、祈願で読み上げた名札を添えた一体物が祈願者に配られる。3日目午後からの岩戸開きでクライマックスを迎え、夜戸神楽に入った。4日目は、大歳神社に参拝し神楽が一番奉納された。大船頭による米占いで、4年後の8月頃に神舞を開催することが告げられた。その後、仮神殿に戻り神角力を中心に夕方まで夜戸神楽が続いた。祈願神楽は繰り返し最終日まで行われ、祈願者の家内安全や無病息災などが祈られた。あっという間に船出神事の日を迎えた。御宿(発)式後、別宮社御一行をシャギリ隊や島民が港の御座船まで賑やかに送った。5日間の祭りは、伊美別宮社と島民・観光客が一体となって繰り広げられ、貴重な思い出として心に刻まれた。その感謝と4年後の再会を祈って、別れを惜しみいつまでも手を振る双方の姿は、尊く爽やかに感じた。神舞のない年は、「おたねもどし」で祝島の代表者が伊美別宮社を訪れる。祭りは、島民をつなぎ、遠く離れた伊美をつなぐ太い絆で永年引き継がれてきた。人を敬い、恩を忘れない美しい心と姿が今も残る神舞。心洗われる祭りである。